タブレットもAIも「配られたのに、まだ使われていない」——焦らなくていい話

「うちの学校、タブレットが配られただけで全然使われてないんです」

保護者からそう聞くことがある。心配そうな声だ。よそのクラスはもっと活用しているらしい、うちの子は遅れているんじゃないか——そんな不安がにじんでいる。

正直に言うと、その感覚はよく分かる。配られた道具が、教室の隅で埃をかぶっている場面を、自分も何度も見てきた。だが、その状態を「遅れ」と呼んでいいのか、少し立ち止まって考えてみたい。

なぜ配られた道具は、すぐには動き出さないのか

道具が配られることと、道具が根づくことは、まったく別の出来事だ。

文科省の調査(2024年度、日本経済新聞が2026年6月に報じたもの)によれば、デジタル教科書を「毎回の授業で使用している」教員は23%にとどまり、「4回に1回未満」という教員が36%を占めるという(この数字自体、教科や地域によって幅があるはずで、詳細は要確認としておきたい)。GIGA端末についても、教員の約6割が「ICT活用に自信がない」と感じているという調査もある(こちらも数値の出所は要確認)。

数字の正確さより、ここで伝えたいのは構造の方だ。道具は配った瞬間には、まだ「モノ」でしかない。それが授業の中で自然に使われるようになるには、教員一人ひとりが「これは自分の授業のどこで使えるか」を手探りで見つける時間が要る。その手探りの期間は、外から見ると「使われていない」としか映らない。

「遅れている」のか、「まだ手探り中」なのか

自分の学校でも、似たようなことがあった。新しい仕組みを入れたとき、最初の数ヶ月はほとんど動かなかった。校内に、その意味と使い方を本当に理解しているのは自分一人だけ、という時期があったからだ。周りの先生たちには「よく分からないもの」として映っていたと思う。

ここで大事なのは、動かない期間があること自体は、失敗の証拠ではないということだ。一人の理解が、少しずつ周りに広がっていく。その広がりには、どうしても時間がかかる。焦って急かせば急かすほど、かえって「めんどくさいもの」という空気だけが先に広がってしまう。

2026年度は「(タブレットやAIを)買う年ではなく、使う年」だという言い方もされ始めている。これは裏を返せば、これまでの数年間は「配る」ことに追われていて、「使う」段階にはまだ入りきれていなかった、ということでもある。学校全体が、まさに今、手探りの途中にいる。

焦りを手放すと、何が見えてくるか

保護者として気になるのは、「うちの子の学校だけが遅れているのでは」という比較の気持ちだと思う。だが、これは一部の学校だけの話ではなく、多くの現場が同時に通っている道のりだ。

道具が根づくには時間がかかる。これは教育に限った話ではなく、新しい何かを迎え入れるときに、いつでも起きることなのかもしれない。今、教室の隅で使われていないタブレットがあったとしても、それは「失敗した」のではなく、まだ「根づく途中」なのだと捉えてみる。それだけで、肩の力が少し抜けないだろうか。

あなたの周りにある「配られたのに、まだ使われていないもの」は、本当に置き去りにされているのだろうか。それとも、根づくための時間の途中にいるのだろうか。

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